J 「陰とひなたの心。「味苦魅楽」」

昭和五十七年二月十九日 朝の御理解

x御神訓 信心の心得 「陰とひなたの心を持つなよ。」


 先日、教務所から、教会長とお話合いがしたいという電話がかかってまいりました。出ましたら、山根という次長の方からでした。その方はどういうわけか非常に合楽に当たりの悪い方のように聞いていたんですけれども、非常に矛らかな表現で私を呼び出されて、そして私に話され、そして相談をされるのです。
 というのは、お宅の今度の学院行きの書類を受けつけましたが、教務所としては、それを受理する、受けつける事になりましたけれども、この事について、或る教会、二ケ所から横槍が入っとります。こういうような事情でという事でした。
 私はそれを聞いて、二軒のその教会、なるほど、おかげを頂きなさらんはずだなあと。大変もう、それこそ私には素晴らしいんです。けれども、結局心の中には、そういう陰で人を陥れるといったような、ま、陰険なものを、二つの教会に私は感じたんですけれども。
 この陰とひなた、という事は、勿論、裏表があってはならないといわけでしょうねが、今日私は、その陰険なという事ですね、これは私、神様に嫌われると思います。 そういう陰でね、工作するとか、人を陥れるとか、そして、なら、私にはだから、私の方には全然そういう事はなかったんですから。なら、とにかく、教務所の方としては受理致します。まあだ、本部の方ではどうなるかわかりませんけれども、こんなわけでしたからという。ま、私に、内々の意味の先生からの言葉でした。
 ま、その事がどうこうという事はないけれども、私は、あの陰険な心、いうなら、陰の心が浅ましかったり、ね、人を陥れる事。それをね、表面を美しうしておるから尚更悪いんですよ、ね。なら、ああ、あそこの教会なら私にもあたりが悪い教会だからという思うんですけど、そうじゃない。普通、日頃はもうそれこそ、もう、素晴らしいんです。私に対しても。その人が、なら、ま、とにかく、何年間も何年間も、もうその教師志望で、ようやく、まあ、自分の仕事まで整理して、そして今度は、どうでもお道の教師としてお取立頂きたいとい、そういう、いうなら、純粋な願を打ち砕くかのようにこう横槍を。勿論、関係がないわけではないですけれども、まあ、しかし、なるほど、本当におかげ頂かん人やら、おかげを頂ききらん人、おかげを頂ききらん教会というのは、なるほど、頂けない元がありますね。
 或る人が或る教会に修行にまいりました。そして帰って来てから、あの教会がおかげ頂かん、こげな事ではおかげ頂かん、という所だけを見て来たという人がありましたがね。私共の心の中に、生き方の中に、ああ、こげなこっちゃ神様は好きなさらんこげな事ではおかげ頂かれまいというような、私は心を取り除いていくという事は、どうでもしなければいけないと思うですね。
 改まらなければいけないと思います。それこそ天の心とは麗しの心といわれるのですから、いうならば、美しい、いうならば、ね、心。
 昨夜の月次祭に、鞍手地区からあんな沢山お参りがありますが、昨日は柴田さんの息子さんがお参りをしてました。親の一念とか、親の思いというものが、神様が聞き届けて下さったから、もう本当に、子供の上にでもこういう働きがあるのだろうかと思う位ですね。
 先だってから、お話しましたが、本人が見えてからの事ですけれども、今朝から不思議な夢を見たというのです。z一本の道を歩いておる。こちら側には蛇がおる。こっち側には鯰がおる。そして、蛇に引かれて身体がヨロヨロそちらの方に行くかと思うと、鯰の方に引かれてヨロヨロする、といったようなまあ、不思議な面白いお夢であった。とても、それでもう普通のお夢とは思われんというのでお届けがあったんですね。私共がいうなら、真の道なら真の道を歩いておりましてもです、蛇といえば、まあ、めぐり、といわれておりますが、ね。めぐりに引かれる、いうなら楽な方へ魅せられてしまうような事がございます。楽というとなんですけども、ま、おかげ落としの方へ魅せられてしまう。かと思うと、又、反対にね、いうならば、この、神様の方へ心がこうやってどんどん向いていく、ね。
 こちらに引かれたり、こちらに引かれたり、それで私が、それはね、合楽でも以前に頂いた御理解の中に『味楽魅楽』という事がある。未楽とはね、苦しみ、苦しい、難儀と思うておる事の中に神愛を悟る。という事は、ね、苦しい事の中に味わいをわかる事なんだよ。信心とはその事を教える。
 魅楽というのは、ね、いうならば、魅楽という事は、自分の身体の楽の事もありましょう。まあ、いうならば、ね、おかげ落としの修行じゃない方、片一方は修行、片一方はじゃない方、楽な方へ楽な方へと行くというような事に魅せられてはならない 魅力の魅ですね、これは『味苦魅楽』という御理解を頂いた事があるが、その事をそのままあんた御理解に頂いとるばい、ね。今度、いっちょ色紙を持ってらっしやい 私がその「味苦魅楽」と書いてやるからというて先日「味苦魅楽」と書いてあげた方なんです。で、そういう事で、これはやっぱりその親のね、子供の事を、一人息子ですから、ね、やっぱり親の思いに添うてもらいたいわけ。そういう願がかけられないはずはないです。ね、だから、子供に、自信のない子供にそういう働きを子供自身が、これは普通の夢じゃないと思うようなお知らせを、ま、頂いた。というわけでしたが、昨日もお参りをしてまいりましてから、「先生、今朝から又、お夢ば頂いた」ていうわけなんです。どういうお夢やったのちいうたら、それがあなた、もう、蛇の今度蛇ばっかりのお知らせじゃったと。そんならあんたが、行っちゃならん所に行ったり、いうならば、めぐりに引っ張られよっとやないの、と私が申しましたら、いいえ、それがあなた蛇が向こうから私にこうぱあ-っとこう切りはろうた所を頂いたと ほうそりゃおかげ頂いたばいち。ね、
 いうなら、めぐりが飛びかかってきよる。いうなら、誘惑なら誘惑を切り捨てた事になるから、もう、この生き方でいかんのと言うて、まあ夕べ申しました事でしたがね。まあ、これは柴田さんの信心生活というものを、まあ、思う時にね。
 この方は本当に何ちいうでしょうかね。竹を割ったような方ですね。女ながらも、いうなら、陰険でないです、ね。だから、赤裸々ではありますけれども、ね。
 だから、人に見せちゃならんようなところでも見せられるようなところがあります けれども、神様に一番嫌われる陰険な心がないです、ね。そういう心で、なら、子供の事を願う。そして、女ながらもああした手広いお商売をしておられますから、まあ、いろいろと大変でしょうけれども、神様が聞いて下さる、ね。
 いうならば、今日、私はお互いの心の中に、神様に嫌われる心、特に陰険な心、そういう心があってはね、私はある教会の事で、なるほど、おかげ頂かん人やら教会やらはちがうと思う。こげなこっちゃおかげは頂かれん。それこそ、まあ、ざっくばらんに、本当にそう感ずるなら、私に直接電話でもかけて下されば、はあ、そうですかといえんものでもない。それを、わざわざ、私にはもうりっぱな態度やら顔をしてから。ところが向こうの方で、やっぱり、この前もそうでしたから、まあ少しは感じられたんでしょうね。いうなら、合楽びいきの方じゃないけれども、合楽に、ま、少し同情なさったという感じでした。
 丁寧に、実はこんなわけで横槍が入っております、というてまあ、知らせて下さったんですけれども、それを改めて知って思うのです。なるほど、御比礼が輝かん教会は、またそういうところがあるなあというふうに思いましたが、なら、おかげの頂けれん人は、おかげの頂けない何かがそこに、癌のようなものがあるんだという事です。両方の手を、こう叩けば音が出る事になっているんです。ところが、もし音が出ないとするならば、真ン中に何か邪魔になるものがあるんです。だから、この邪魔になるものに気付かせてもらって、それを取り除いていく。それもとりわけ神様が一番お嫌いになる陰と日なたの心、ね。そういう心を、私は取り除いていく修行も又、しなければならん。そして、いうならば、神様に喜ばれる、神様に好かれる心。それを、いよいよ育てていく、という事が信心だと思いますね。
                     どうぞ。